ED BICKERTと私




ED BICKERTの演奏を聴いてからというもの、私は彼の演奏の虜になりました。
シングル・トーンの演奏は少し垢抜けていない部分もありますが。(90年代は素晴らしい)
まだJAZZを勉強し始めた頃の私は、「良い伴奏者になりたい」と思っていました。
ですからエドのコードワークにどっぷりとハマってしまったのです。

私のホームページのカナダ放浪記にも少しずつ記してありますが、
私はいつしか彼の演奏を生で聴いて、見てみたいと思うようになりました。
英語なんて全く喋れなかった私ですが、2002年単身カナダに渡ることを決意したのです。勿論エドに会うために。

私が知っている情報といえば、「カナダのトロントで音楽活動をしている」ということのみで他は何も知りません。
そして、カナダでは探しても探してもエドが演奏しているクラブは見つかりませんでした。また、エドの情報すら手に入らなかったのです。
途方に暮れる日々でしたが、ある時エドと共演したことのあるローン・ロフスキーのライブに遊びに行って彼に尋ねました。
彼から
「エドは現在、引退している。」という情報をもらうことが出来ました。

「わざわざ遠い国まで会いにきたのに、このまま帰る訳にもいかない」
この時点で、私は目的を失ってしまった訳ですが、探していれば・・・演奏を続けていれば、いつか会えると思っていました。
しばらくして、セッションで知り合ったピアニストから、エドの電話番号を知りました。
電話で英語を話す事は本当に大変なんですが、私は早速電話をかけました。
が・・留守電・・・また留守電・・・・・何度かけても留守電でメッセージを残しても電話はかかってきませんでした。
その頃には私は資金も底をつき、既に日本行きの航空券を手配していました。
そうして、エドに会えぬまま帰国となってしまいました。



その後、カナダ・ミュージシャンの友達が来日するごとに「私はまだエドに会いたい」ということを伝えていました。
電話番号をくれたピアニスト(STEVE KOVEN)は来日前にエドに会ってきてくれて、サイン入りのCDを私にくれました。
彼等から聞くエドのイメージは・・・あまり多くを語らないが、とても穏やかな良い人です。本当にあまり喋らない!
また多くのミュージシャンは「エドは70歳を過ぎている。会えるように手配するからカナダに来い」と私に度々言ってくれました。

そして2004年5月・・・私はカナダへ再び行くことを決め、知人に知らせると彼等はエドとアポイントを取ってくれました。
実際に見たエドのイメージは「かなり歳を取ってしまったな」といった具合で
「良いおじいちゃん」といった感じでした。特に手がソワソワと常にリズムを刻んだりして動いていましたよ。
沢山のジャケットに彼がタバコを吸っているのをご存知でしょうか?
エドは10年前にタバコを止めたそうです。いたって体は健康だと言っていましたが、指が落ち着きがないのはそのせいでしょうね。
車も運転しています!とてもセーフティ・ドライバーだったのには驚き。会話が止まったり、一人になるとエドはいつも鼻歌を歌ってました!
鼻歌を歌いながら運転しているエドおじいちゃんを見ると結構楽しい。思わず伴奏を入れたくなります。
少し会うだけでは物足りない私はED BICKERTの自宅に遊びに行き、色んな質問を次から次へと浴びせかけてしまいました(^ー^)
憧れの人と会えたのですから当然でしょう!家族のこと、昔のレコーディングのこと、日本のこと、今の生活のこと
そして勿論、演奏のことも。

エドの記憶力は素晴らしい。日本ツアーのこともよく覚えていましたよ。
ツアーのメンツから演奏まで色々と話していただきました。
ED BICKERTの演奏方法・・・考え方。
同じギタリストにとって、そこが一番気になるところでしょう。
しかしエドはもともと教えるのが苦手で、一度もレッスンをした事がないそうです。
そんな彼ですから、私が沢山の質問をしても同意するくらいで特にどのように考えているかは教えてもらえませんでした。
それならば!と私も考え、エドと一緒に彼の演奏を聴き「この部分はどう弾いているのか分からない。どう弾いてるの?」って聞きましたよ!
エドの答えは・・・・「私も分からない・・・」
それならば!と私はエドのギターを弾かせてもらい質問をしました。
しかし、エドは素直に質問に答えるだけ・・・YESかNOだけでした。
ED BICKERTは欧米人には珍しい本当に語り口の少ない方です。まるで日本人と話しているような感じでした。


ED BICKERT TOP 山田忍HOMEPAGE TOP 山田忍ギター教室

copyright(c)Maple Avenue 2004-2005 All Rights Reserved