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2002年の春から秋にかけてボクはCANADAのトロントへ行ってきました。 それはスリルと興奮の連続の冒険をしているようでした。 ここでは、そんなカナダの旅を少しずつ書いていこうと思います。 |
放浪記Vol.2 決意 |
翌日、外科に行くと医師から「明日の朝、ここに行って下さい。」と地図とレントゲン写真を持たされました。話によると専門医がいるらしく、また設備もしっかりとしているとのこと。
もう気力はほとんど残っていませんでしたので言われるがまま地図を受け取り帰宅しました。昨日の夜はギターも弾けず、悔しくて悔しくて痛みと戦いながら寝たんです。その状態でもう1日!この日の夜はレントゲン写真を見ながら眠りました。 その翌日、貰った地図通りに行きました。結構大きな病院で入院患者も沢山、綺麗なナースも沢山(*^o^*)ちょっぴり気持ちが休まる狼なボク。 「○×外科の紹介で・・」というと待ってましたとばかりに 「ギター弾いてるの?」「ギタリストが指折っちゃ駄目じゃない!」「どこが痛いの?」 おいおい、どんな情報が伝わってるんだ?と思いつつ、嫌味な医師に反撃する気力も残っていない。問診をうけると医師は・・・ 「じゃぁ、午後1番に手術だ、昼ご飯食べないでね。」 「えっ、手術?」 「聞いてないよ!」 一気に不安は高まりました。これまで手術なんて物心ついてから一度もしたことがないんです。なにされるんだろう?どうやって治すんだろう? 不安に耐え切れず、とりあえず親に状況を伝えました。午後になり、病院に入るとさっきの医師が手術着になって現れました。簡単に挨拶を済ませ、ナースの言う通りにボクも手術着に着替えました。 手術室に入る、忙しそうにナースが動き回っている。ボクに気付いたナースの一人が手術台に案内してくれ、ボクの体には色んな装置が取り付けられた。手術初体験だから怖いものだらけ、自分がこれから一体どうなるのか? 医師すら信頼出来ない状態でした。しかし、ボクも男だ!騒がず静かに横になっていました。(決して怖くて動けなかったんじゃないぞ!)横におばちゃん看護婦が来た。こんな時のおばちゃんは妙に落ち着く。おばちゃんはボクに向かって 「素晴らしい、若いっていいわね。」って。どうやら血圧のことらしいが・・・。ボクはまだ黙ったままでいました。 それからの1時間は人生で一番長い1時間に感じました。局部麻酔を使った後、指の中が細部まで見れるモニターを見ながら作業をしていました。どうやら針金を入れているみたいだ、あれ、確か手術前に言ってたっけ? もう頭は混乱中。じっとオペが終わるのを待っていました。 オペが終わると左手全体が包帯に覆われ、所々に血がにじんでいました。「成功しました」と聞かされとりあえずホッとしたのも束の間、薬の検査だ点滴だなんだと注射を沢山されました。「もう好きにしてくれ〜〜」 しかし、新人ナースの注射ほど怖いものはない。打とうとした瞬間ベテランナースが後ろから柔らかいところの方が良いとのアドバイスで打つ場所を2転3転。手術台に上がった時より不安でした。まぁ、誰にも最初はあると思いますが、 痛いものだから早くやってほしかったです。 これからが試練でした。ギターは全く練習できない状態なのはおろか、片手が三角巾で吊るされバイトすら出来ませんでした。 そんな中1人で1DKの部屋で毎日CATVを見ながら、「今後どうしようか」と悩み続けました。今まで私が費やしてきた時間はなんだったのか? とにかく1人で居たいけど、1人は嫌だ。どんどん気分は悪くなっていきました。それでも東京に居たいと親に頼み込み暮らしていましたが、片手では生活も困難な状態。 「今まで好き勝手にやってきた罰なのか?」「ボクはこの先なにを目標にして生きていけばいいのか?」答えの見つからない暗い日々の始まりでした。 医師は「とにかく食事を取れ」と。数週間後、ボクは食事も喉を通らず丸々4日水しか飲まない日々があり、意識が朦朧としてきました。 その頃になると左手の包帯は随分と小さくなり中指、薬指、小指の3本をまとめて巻かれていました。 「もう東京にはいられない」そう決断した夜。 私は今までやってきた事を思い返し、再びギターを手に取ったのです。 「右手の技術だけは落とすものか」と左手人指し指1本で練習を再開しました。 調子に乗って指に力を入れ過ぎれば自然に小指にも力が入り激痛が走るので、それはそれは優しくギターを弾かなければなりませんでした。 それと同時にマンションを引き払い実家のある愛知に帰る準備を始めたのです。また数週間が過ぎ、引越しの日が近づくとボクの指の包帯は小指だけとなりました。 たまに包帯から針金が突き出ていましたが、怖くてなかなか包帯を取ることは出来ませんでした。包帯が小指だけということは3本の指でギターが弾けるんです。これは本当に嬉しかった\(^0^)/ 音階の練習くらいは出来るようになっていました。イメージはジャンゴ・ラインハルトです(笑)←彼は火傷で指を失い、3本の指でギターを弾いていました。どの指が残っていたのか分かりませんが、本数は同じです。 ギターを弾くのが妙に楽しくて3本でも弾きまくっていました。 引越し前日の検査で、もう骨はくっついているという結果で、針金を抜きました。ペンチを用意する前に指でスルッと抜けてしまったんで、医師もボクもビックリしました。「もっと痛いものかと思ってました〜」と談笑し、地元でのリハビリとなったのです。 「実家に帰ったらどうしよう?」 うちの実家はかなりの田舎にあり、電車は1時間に2本しかないような場所です。しかし、もう決めていました・・・それは 「ED BICKERTに会いにカナダへ行こう!」 実家に帰ると両親&兄弟の激しいプレッシャーに押し潰されそうでした。家族の言葉はもっともです。地元で働きなさいといった言葉はボクを心配する親からみれば当然でしょう。家を出て5年、まだものになってないのですから。 しかし、諦めて「ほら、私が言ったとおり・・」と言われるのは目に見えていますし、自分のしたくない仕事を一生していくのは続かないと自分で分かっていました。 「カナダに行くんだ!」親にはそう伝えリハビリに励んだのですが、これがまた痛くて痛くて、1回15分程度の訓練は苦痛で仕方なかったです。 結果、完全には元に戻らず指が手の平に付くまでは自分の力でなんとか出来ますが、それ以上に強く握る力は今もありません。指も少し内側に曲がってしまい、幾つか押さえられなくなったコードがあります。 こんな感じです→手の写真 なんだか手の写真なんて、ハリウッド・スターみたい(*^o^*)ついでに足の写真もとっちゃおうか・・・・。 この頃にはボクは自分が幸運に思えるようになっていました。とにかくギターを弾ける程度回復すればいいと思っていたリハビリが、テクニックを鍛える練習となり、ボクの指は以前より動くようになりました。 その後ホテルで働いたり、朝から引っ越しのバイトをして深夜コンビニのバイトをしたりとハードな生活をしましたが、実家での両親とペットとの生活は心に安らぎを与えてくれました。愛猫キャロル さて、カナダでの計画を立てなければなりません。カナダには何一つ当てが無く、とりあえずはワーキング・ホリデー・ビザで1年間行くと決めました。ED BICKERTのいるトロントに行きたいという思いで、英語も独学で勉強したんです。 実家での暮らしでは両親、兄弟とのケンカがありイライラしたりひどい言葉を浴びせたりしていましたが、人と違う道を歩むのは本当に大変なことです。今ではそう伝えようとしてくれた事、色々とプレッシャーを与えながらも応援してくれた両親には本当に感謝しています。 実家で2002年を迎え、ビザも取得出来、航空券の手配も済み、春がやってきました。とりあえず最初の3泊はホテルで、次の1週間はユースホステルを予約しておきました。 初めての国際電話で初めてのホテルの予約!何度、途中で電話を切ろうと思ったことか!!(>_<) とりあえずの準備は整い、いよいよ明日は出国です。 |